中国留学館/留学生コラム「徒然大連

「徒然大連 その26〜終章〜」(2006年09月17日/更新)

北京時間9時にやっと日が昇る。
まるで、瓦礫の上に赤絨毯を引いたような、どうにもしっくりしない街だった。瓦礫の上に赤絨毯を引いて、何か意味があるのか?誰がその上を歩くのか?
街の真ん中を貫くメインストリートだけがっちりと整備されていて(ちゃんと毛沢東の像もある)、少しでも路地に入ると、もうそこは砂漠の砂で出来た干乾びた町。そう、そこはウイグル族の生活の場所。

彼等のバザーは、週末に行われる。
それはもう、そこに居るだけで病気になりそうな光景だった。率直に、耐えられなかった。これが文化の違い?分からない・・・・
そこは、砂埃と羊肉を焼く煙で常に靄がかっていて、皮を剥いだ羊の山には蝿がたまらなく嬉しいという具合にブンブン群がっている。羊の首は道にゴロゴロ転がっていて、その前で羊肉串を焼く。
羊の匂いと、血の臭いと、埃の臭いと、尿の臭いと、よく分からないさまざまな臭いとが交じり合う。
私は、濛々と立ち込める様々な煙で涙と咳が止まらなくなった。遠くに来たな、と感じた。
彼等は、ここで日々の糧を得て、必要なものを買い、家族と共にしっかりと生活している。
お気楽に観光に来た私は、無職な上に向上心も無く、朝も弱い・・。それに比べ、彼等はなんて美しいのでしょう・・・完敗!
すると、遠くの方から薄汚い欧米人バックパッカーが歩いてくる。ガリガリで、お風呂に入るということを忘れてしまったかのような、くたびれた青年。不思議とこの土地に馴染んで見える。
私は遠巻きに彼を眺め、赤絨毯の上に戻った。

私たちの暮らしは、何か間違っているのだろうか。世間では、現代人は何か大切なものを忘れてしまっている、置き去りにしてしまっている。なんて言われているけれど、それは一体なんなのか。
私は、整備された道路に戻りほっとする。真空パックされた食べ物に喜びを覚える。彼等のような生活は絶対に出来ない。
では、私はなぜこんなにも彼等が羨ましいのだろう。彼等はとてもキラキラしていた。

カシュガルを去る朝、へたくそな中国語のタクシードライバーと楽しく会話していたら、いきなりぼって来た。
私は、今まで楽しく会話していたのにそういう態度で出られて、なんだかもの凄〜く頭に来たので、相手が上手く中国語を使えないのをいいことに、ぎゃあぎゃあ喚き立てた。相手が折れても喚き立てた。逃げ出すように走り去るタクシーに向かっても、まるでイタリア人ドライバーのように腕を振り回して怒鳴りつけた。
こうして私の旅行が終わった。はあ〜、くたびれた。


【クリックで拡大画像がご覧いただけます】
【前のコラム】   【中国留学館トップ】