河井 寛次郎と天界酒造

下の作品は、炎の陶芸家「河井寛次郎」が残した天界にまつわる作品です。


象嵌雲竜文蓋付壷(天界銘入)大正二年頃
河井寛次郎記念館
京都市東山区五条坂鐘鋳町569
TEL 075-561-3585 http://www.studiomiu.com/kanjiro/main.html
  「安来は文化人の輩出する町ですね・・」と、よく言われる事がある。深い事情は分からないが、ひと昔前には旦那(だんな)衆と呼ばれる方たちがいて、芸術家を擁讃したり、文化や芸術論を肴(さかな)に酒を飲むような気風もあったようである。
  登場ねがう天界酒造の三代目、山本与三郎氏も、そうした一人であった。山本家の三男が同窓生だった事もあり、私もよく山本家には出入りさせていただいた。そんな折、父上である与三郎氏にも何度かお目にかかった。与三郎氏が河井寛次郎先生と義兄弟のような仲であることを知ったのは、ズーッと後からだが、天界にはエタイの知れない荒々しい絵や、妙にゴテゴテした壷(つぼ)やらが、ぞんざいに飾ってあったのが記憶に残っている。
  エタイの知れない絵は棟方志功であり、ゴテゴテは河井寛次郎先生の作品だと分かったのは、かなり後年のことになる。与三郎氏と寛次郎は、なぜか気心が合ったようで、いつも一緒であり、とうとう大学まで、二人とも東京を選んでしまったほどである。寛次郎はのちに京都の窯業試験場で、試作品づくりに精を出すが、与三郎氏の母、ユウさんが美に対して、とても目利きであったため、帰る度に、ユウさんに目利きをしてもらったという。だから天界には寛次郎には珍しい、白磁や青磁の作品も数多く残されている。
  寛次郎と与三郎氏の絆(きずな)はのちも深く結ばれて、大家となるも、帰郷の折には必ず天界に寄宿したという。そんなつながりもあって、天界には寛次郎からの関係で柳宗悦、浜田庄司、バーナード・リーチ、棟方志功らが出入りするようになった。そんな方々を、与三郎氏と母ユウさんは、尊敬の念を持って、いつも手厚くもてなしたという。
  まだ、民芸が市民権を得ていない時代のお話しである。<< 丸山勝三 >>