石見刀 兼綱、貞綱、貞行、祥末、林喜等
中国山地という良質の砂鉄生産地域を背後にする石見は、古来より武器として又は輸出品としての刀を生産していた。「石見刀」で総称される物には普通、出羽刀(島根県邑智郡瑞穂町)と、長浜刀(浜田市長浜町)があり、どちらも、十四世紀初頭から生産を始め江戸末期まで続いた。
江戸末期から明治初年にかけて活躍した最後の刀工に鍋石(浜田市鍋石)の江尾護国がいる。護国は、富豪の息子として生まれ、趣味として始めた刀造りが、芸州住出雲大掾正光により開眼し、実に素晴らしい刀をきたえている。嘉永五年(1852)五月、護国の父江尾兼参(かねみつ)が杵築の出雲大社(天日隅宮)に奉納すべく、息子の護国と芸州出雲大掾正光の両人に打たせたものがある。
銘表 石見國鍋石住江尾護国
安芸國住出雲大掾正光 両人作 裏 天日隅宮奉納焉 願主江尾兼参
嘉永五壬子年五月吉日
(浜田市文化財指定・太刀)
長さ二尺三寸七分(72.1a)、反り七分、青味かかった地金は無地の如く、鎬(しのぎ)地に板目少し顕われ、鳥居反り力強く深く反り、古刀の如く美しく湾れ(のたれ)五の目乱れの刃紋は刃ぶちよく締り銀色に輝き、沸(にえ)しぶきの如く刃ぶち全体に付き、大波、小波、打ち返す波頭は玉を飛ばし、海上に月が輝く如く、鋩子(ぼうし)は尖(とがり)気味の小丸、深く反り、幽玄の世界に引き込む魅力を持つ、護国最高の傑作である。