茶町商店街へようこそ
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茶町商店街 商店街について
茶町の由来
 松江城築城の際、石を陸揚げしたのは南の湖岸「権現灘」。本丸まで巨石を引き揚げたのが、この茶町。
 工事で働く人々を励ますために、餅茶屋を四カ所つくり、女中達が餅を提供、お湯を振る舞ったことから「茶町」と呼ばれるようになったそうです。
特に苦労した石取り人夫達は石をひとつ運んだら大きな焼きおにぎりを与えたので「奥方様握り飯くださる」と喜んで我勝ちに運んだと云われております。
 以後、江戸時代は北前船や各地からの船道を通って荷揚げされる品々で賑わう商人の町として栄えました。
 今日もその名残りが各所に見られます。

茶町のまちなみ
 紺屋小路(こうやしょうじ)通り −2つのハートが結ぶ恋− 地図はこちら>
 この通りは、京店周辺活性化事業(平成8年完成)の一環として片原地区と東茶町地区の民家2軒が立ち退きをして出来たものです。その名前の由来は、その昔、片原地区はその堀川の清らかな流れを利用して染め物を生業とする何軒かの紺屋があり繁栄しました。今でもその名残りがあります。
 また、昔からここの界隈は南北に細い小道が幾筋にもあり、それを小路(しょうじ)といいました。その両方にちなんでこの名前が出来ました。そして、この先の京屋小路(きょうやしょうじ)を通り宍道湖畔に至ります。
 ここの石畳通りには、大小二つの幸福のハートマークが刻まれています。
「小さなハートの上に立っている間に、大きなハートを踏んだ人と結ばれる」
と言われています。
 このロマンチックなマークを探してみませんか。

ハート(大) ※ハート(大)
小さなハートはご自身の目で…。
日銀に向かって
京橋川へ抜ける
私の一言案内板
私の一言案内板
ハート(大)
ハート(大)


 茶町の灘 地図はこちら>
 もともと、この場所は宍道湖の湖面であり水に親しむ「灘」として、四季折々の釣り(エビ、ごず、こい、ふな、あまさぎ、白魚、うなぎ等)、夏の水泳で近隣の子供達の遊び場でした。
  戦前から戦後の一時期までは、宍道湖の水運を利用して、「架けだし」とよばれる個人の小さな桟橋に平田船(船底がが平らな川船)が着岸し、造り酒屋や醤油醸造店の蔵へ原材料の搬入をしたものでした。
  昭和47年の宍道湖大橋(旧橋)の完成で、現在の河川敷公園となりました。
対岸から望む
宍道湖対岸から望む
山陰合同銀行展望から望む
山陰合同銀行展望から望む

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