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しまね住まいの学校 住まいに関する講演録
 
「木と暮らし」
 
安達公一氏(株式会社こびき屋代表取締役
平成18年9月1日講演
 
私は昭和23年の生まれでございます。
私の家は先ほどご紹介いただきましたように四代前の1843年生まれなんですけども、斧次郎という人が木挽きを始めまして、それから代々木挽きをしながら現在に至っているということでございます。

そういったなかで木挽きの仕事といいますのは建築そのものを全て理解しながらですね、実は昔は例えば上棟祭におきましても必ず木挽きがいないとできないと、言われるような重要な地位におったわけです。
それで使います道具は皆様見られたことがあるかもしれませんけども大鋸といいまして、鯛のような形をしたこういう大きな鋸ですね、あれを「おが」という、文字は「大きい鋸」と書くんです。

実はあれは室町時代になってからどうやら入ったようですけども、それまでは杉とか桧とかそういった針葉樹の非常に目の通った木を楔で割って、割ったものを鑓鉋で仕上げて使っていたとまぁこういうことだったんですけども大鋸ができましてから欅のような割れないような木が建築材料として使えるようになったということでございます。

大鋸ともうひとつは鉞ですね。
鉞は何にしましたかといいますと丸太をはつったんですよ。
ですから例えば古民家なんかを見られますとですね、立派な梁り組みがあるでしょう。
あれは皆さんおそらく大工さんがいい仕事しておられるなぁとご覧になっているかもしれませんけど実はあれ木挽きがやったんですね。
木挽きが山であのような形をした材料を見つけながらそういった長さに切って大方の形に鉞ではつったんですね、そのはつったものを大工さんに渡して、ですから大工さんはいうなればその噛み合わせの部分を作ったりあるいは仕口の部分を作ったりこういうことをしたわけですね。
それで2代目は源太郎と言うんですけどもこの人は大変几帳面と言いますか、普段の生活でも身を正して生きておったようでございます。 と申しますのは木挽きはお宮の遷宮がありますと、声がかかりますね。
そういう時にお宮さんにお仕えしなきゃならないということで平素から身を正していたと、いうふうに聞いております。
ですから木挽きの道具は先ほど申しますとおり大鋸と鉞なわけです。それ以外の道具は持たなかった。

しかもその当時はそういった職人の仕事っていうのは生業なんですよね、今のように産業ではありませんからおそらく半年も仕事をしたんだろうかなと思います、だから百姓も当然やっておったわけですよね、しかしながら鍬や鎌は絶対持たなかった。
これは別に百姓を卑下したわけではなくてですね、これは自分が天から与えられた道具は真しく大鋸と鉞だということで常にその道具だけはいつでも使えるように研いでおったということです。
それからその子は茂と言いましてね、私のおじいさんになるわけですけど、これが昭和9年にまだ私の田舎のほうでは電気がなかったらしくてですね、発動機で丸鋸を回して製材を始めたと。
この人茂さんは非常に三味線が好きだったんです。
初代の斧次郎さんからずーーっと三味線を弾いてきたんですね。
なぜかといいますと、例えば上棟の祝いの時に昔は五代も六代もかかってやっと一軒建てるわけですから、大層な祝いだったんですよね。
そういうときに正座に座っておりまして例えばどぶろくだか頂戴しますけどもそんなに飲めませんよね、ですけど最後まで座を努めなきゃいけないという中で三味線を弾きながらその座持ちをしていた、そういう中で本当に三味線が好きでして、私の数え3つの時に亡くなりましたけども死ぬ間際まで腹の上に三味線を乗せながら弾いていた、ですからこのおじいさんが亡くなってから三味友達という方がですね何人もおいでになりまして、仏さんの供養だということで私も小さい頃に三味線の音をずいぶん聞かせていただいたなという記憶があります。
それから朝雄、朝雄は私の父親でございます。
42の祝いの時から写真をやりだしましてね。
最終的には二科会の会員、審査員ということになりまして、それで写真集の「山里」というのを出させていただいたんですけども、会員になると同時に病に伏せましてね、今から12年ほど前に亡くなってしまいました。
せめてもう10年生きておったらずいぶん活躍の場もあったろうなというふうに残念に思っております。
5年くらい前ですかね、秋山庄太郎先生が家にお見えになりまして、仏さんに供えてくださいということでこのくらいの2つ折の屏風にですね、「いささかの紅をのこして冬のバラ」こういう直筆で書いて頂戴しました。
それには庄太郎で落款が押してありました。

私は兄弟が5人おりますもんで5枚の色紙を用意しまして「先生お願いですけども色紙を書いていただけませんか」とお願いしたんですね、そうしましたら快く「すぐに墨をすりなさい」ということで墨をすったんですねそうしたらさすがだなぁと思いましたのは、やっぱり超一流の先生というのは単に写真だけじゃなくてそういう歌も詠まれるし、しかも書もうまい、ということでねその場で本当に仏壇の前に座りながらですね手に持ってさささっと5枚書いてくださいました。

それで弟妹4人にそれぞれいいのを取りなさいよと渡して家に残った最後の一枚が「花下草上」花の下、草の上、非常にわかりやすいですね、いわば天国だろうと思いますね、どこが心地いいの?それは君、花の下だよ、咲き誇った花の下だよ、あるいは若葉の上だよ。とそういう単純な歌じゃないかと思いますけどそれには「秋山庄太郎」と落款をしてありました。

でどういう違いがあるのかいいますと先生に伺いましたらフルネームで落款を押したのは自分の歌じゃない、人様の歌を使わせていただく場合はフルネームで、だけど最初に持って出した「いささかの紅をのこして〜」というこれは庄太郎の名前だけでしたけど、そういうのは私の歌だよ、と。いうことでございました。
それから私は実は昭和42年に高校卒業しまして以来、今39年と半年ですかねそれこそ製材ばっかりしてるんですよ。今日も実は午前中製材をしてきました。
製材といいますとね言ってみれば魚の板前さんと同じですよね。
丸い丸太ですからどのようにも切れるんですよね、それは職人の感性だけなんですよね、ですから私が製材をしている時はひとっことも喋りません。黙って製材してますね。
そういう私にこのたび引野事務局長さんのほうから講演依頼がありまして、本当に自分をも顧みず、お引き受けしたということで、非常に不調法でございますけども私なりにいただきました時間は3時20分までですか、約1時間ほどですけども一生懸命お話しますのでどうかよろしくお願いいたします。

まずはじめにですね今日の私のお話の内容を大雑把に言いますと、一番目にまず住まいとは何か、2番目に昭和40年ごろから住まいが変った、それから3番目が日本人の美意識、清潔感、そういったものが美しい自然と四季プラス素足の文化である、いうお話をしたいと思います、それから最後には木材使用の大きな障害、まぁこれらにつきまして皆様方のお手元にあると思いますけど木の語り部通信、これを使いながらお話を進めたいと思います。
住まいとは何か
それではまず一番目、住まいとは何かですね。現在環境という二文字が大きなキーワードになってます。

おそらくこのことに無関心でこれから生活は当然できませんし、これが私達の身の回りにおきましても一番大きな問題じゃないかと思いますね、そういう中でみなさんシックハウスという言葉を聞かれたことがおありだと思いますね。
これはですね実はたぶん8年くらい前になるんじゃないかと思いますけど、大阪の歯科医の先生、上原裕之先生がそれまで築何十年という古い家の中で住まいをしながら歯科医を開業しておられたんですね。

それがあるとき壊されて新築された。その中で住まいしながら以前と同じように開業された。
しばらくしましてから自分も含めまして看護婦さんも家族の皆さんも症状はそれぞれ違うんですけども例えば目がどうもひりひりする、あるいは喉がしぶしぶするとかあるいは皮膚がちょっと痒いとか、いろいろな症状が出ましてこれはおかしいいうことでいろいろな病院に行かれたそうです。

ところが、どこの病院行きましても、原因がわからない、そういうときに実はアメリカではシックビルシンドロームというのが大きな社会問題になってたそうですね、つまり新しくビルを建てた、新築のビルの中で仕事をされている方がそういう症状が出ている、それでアメリカではシックビルシンドロームと大変な社会問題になっていた。
上原先生はまさしくこれの住宅版だということでシックハウスという名前をつけられまして、厚生省にも訴えられました。あるいは全国いろんなところに行かれました、出雲にもおいでになりました。隣の出雲市に。
たぶん6年くらい前でしたかね、私も行ってちょっとお話伺いましたけども、いろんなところを回りながらこういう家を造っておったんでは日本中が滅びるよ。何とかしなきゃいけない、ということを訴えたんですね。

実はその結果ですよ、例えば今使います建材はフォースターとかあるでしょう、星が4つついた、ああいう規制がかかったり、あるいは換気扇をそれぞれの部屋に義務づけたり、そういったことの一番は上原先生だったんですね、そういう中で私はつまりどういうことかいいますと、環境というのは自然環境だけじゃないんだ、私達人間にとってもっとも身近な環境というものが実は住まいなんだよ、と。
住まいは最も身近な環境だと、いうふうに私は考えたいと思います。
ですから良い家の判断基準というものはこういったことに照らし合わせてみますと、おのずと答えがでてくるんじゃないかなぁ何が必要で何はゼイタクなのか、あるいはどういうことをするべきでどういうことをしちゃいけないのかそういったことの判断の基準になるんじゃないかなというふうに思います。

そしてじゃどういう環境がいいのかって言いますとね、当然のことですよね、家族の皆が健康で暮らせるというこういう環境です。
それからもう一つ、2番目には家族のみんなが話し合いがいつでも話ができるというそういう環境です。
それからもう一つはやはりその家からいい子が育つという、この3つの環境こそがやはり一番重要ではないかなというふうに思います。

昔の言葉の中にですね、「木は心身の良育に効あり」と言う言葉があります。
どういうことかいいますと、木材というものは大変私達の心と体をうまーく育ててくれるそういうことに力のある素材だよ。ということなんですね。
「木は心身の良育に効あり」。そして木材なくしては絶対に良い家はできないというふうにも言われております。
従いまして先ほどの第1番目住まいとはなにか、これにつきまして私は住まいはもっと身近な環境だということをお話させていただきます。
昭和40年ごろから住まいが変った
で2番目ですね、昭和40年ころから住まいが変った、というふうに実はいわれているんですよ。

いきなりこうなったわけじゃないんです。
いつ頃からじゃあそういう家造りになったのか、昭和40年頃から変ったよ、と言われてるんですよね。

それは衣も食も住もなんですよ、実は。
住まいだけが変ったんじゃない、衣も変った、食も変った、住も変った、まぁそういう中で衣は化学繊維に変ったんですねえ。食はですねぇ、チキンラーメン、あれ非常に画期的だったですよねぇ。ああいうものから始まりましてねぇ今は電子レンジでチンという、そういう食生活、しかも添加物のない食品なんてほとんどない。

それと同時に実はもう一つ大きな食の変化はですねぇ。米を食べなくなった。
例えば昔の弁当はですねぇ大半がご飯ですよ。おかずはちょっと。
ところが今頃のご飯、例えば弁当屋さんでも注文しますとねぇ本当にご飯はほんのちょっとで後はおかずでしょう、これだけ減反しててもまだ米が余る、人口が増えている、減反してるだけど米はまだ余るよ。
これはとりもなおさず米を食べなくなったということなんですね。

しかし日本人は古来より米を食べて、米を食べるからこそ何クソと頑張ったんですね。
本当に土壇場の時にもう一頑張り、頑張ったのは米を食べたからといわれているんですよ。
クソという字はみな米が書いてあるんですよ。
一つの字は戸の点のないですね、なにだれというのかわかりませんけど、この下に米が入ります。
もう一つのクソという字はですねぇ米の下に異なると書いてあります。
いずれにしても米を食べるからこそ本当に立派なクソができるということなんですね。
日本人は米を食べながら頑張った、という中でやはりこれからも米というものをもう一つ見直さないといけないとも言われております。
さてそういう中でいよいよ住ですね。
じゃあ住まいはどうなったかといいますと、どの町にもどの村にも私のような木挽き屋とそして大工屋、建具屋、左官屋、畳屋、瓦屋そういう職人集団がおったわけですよね。
そういう人たちは生業として家造りをしてきたんですよねぇ、だから年中それで仕事してるわけじゃない、半分百姓しながらそういう自分の先祖から受け継いだ仕事をしてきた。

しかもそういう人たちも実は知識の究極といいますか、優れた技といいますのは、最終的に言いますとねぇ建物を長持ちさせるというところにあったんですよ。
我々が木の知識、製材する技術、そういうものもそうですけど、左官さんの壁を塗る技術もそうですよ。
あの左官さんに壁を塗っていただいたら何十年経っても壁が落ちない。どの仕事でもそうなんですよ。
究極の技術というものはですねぇいかに長持ちさせるかにあったんですね。

ですから昔の家っていうのは五代も六代も住み続けたんですねぇ。
それがですねぇ今現在メーカー品と言いますかね、規格住宅、しかもそれは完成品ですよね。一回住んだらかまうことがない全てができてる、完成品。

昔の家はですね。完成品じゃないですよ。未完成の家だったんですよ。これ住みながら完成させていったんですよ。
例えば壁でもですねえ、今の家はどんな家でも上塗りまで全部してあるでしょう。
まぁもっとも塗り壁自体がもうなくなりましたねぇ。ほとんど、みんなビニール合成に変ってきてますけど、いずれにしても仕上げなかったら引き渡しがないでしょう。
昔の家はそうじゃないですよ、例えば水周りとですねぇ一部屋あったらいい、あるいはせめて二部屋ほしい、あとは全然かまわなかったんですよ。
これまた余裕が出来てから構おうというかたちでね、だから住みながら完成させていったというのが昔の家で、今では完成品、そういうふうに変ってきたんですね、それでそのことをですね内容的に観ますと、昔の家は柱でもあるいは横架材でも全てがあらわしになってる、そういう真壁造りだったんですよ。木が全部あらわれている。
しかも床も天井も壁もいわゆる四面が調湿性を持った自然素材だったんですよね、それと機密のことを申しますとまいいかげんな機密といいますか、中機密といいますかね、その程度の機密だったんですよ。

ところが今の家はですねぇほとんどが木材はあらわしにならない、全部包んでしまう、そういう大壁造りと言いますけども大壁に変ったんですね。
しかもその四面がここだってそうでしょう。自然素材がないと思いますよ。
今の住宅はそうなんですね、ほとんどの住宅が床も建材、壁、天井、全てがビニールクロス、そういうのがまず一般的な家じゃないですかね。そういうふうに内容的には変った。
それから建て方をみましてもね、昔のおうちっていうのはほとんど木造の在来工法だったんですよ。
中には伝統工法と言いまして金具も一本も使われてないような工法、例えばうちの家だってそうなんです。
90年前に建てた家なんで金具もひとつも使われてない。しかも筋交いも一本も入ってない。

今の耐震の判断をしていただいたらね、マイナス何十点ですよ。
下も2階も建具を取っ払いますとね、一部屋になりますよ。その上に基礎もないんですよ、石の上に乗ってるんですよ。それが90年経過する間には何度も地震を経験しているんですね。しかし倒れない。
でも今の耐震基準から照らしあわしたらマイナス何十点なんですよ。

ところが倒れずに現実建ってるっていうことはどういうことか言いますと今の学者の言ってる耐震、その出し方、学問そのものがまだまだ本当のことはわかってないということですね。
今はですね、コンクリート、例えばマンションのような集合住宅ですね、あるいは軽量鉄骨、厚さが1.5mmから3mmくらい、パネル工法の家、あるいは2×4の家、ログハウスの家、いろんな工法が出てきましたね、それが現代の家だと思いますね、じゃあそのためにどうなったのという話をしてみたいと思いますけどそのためにですね実は一つは建物の寿命が戦後の統計で出ておりますけども25年から30年、それまでの家造りは少なくとも100年やそこら保った家造り、五代六代住んだ家造り、それが今現実に25年から30年というのが統計上の数字なんですね。
そのように劣化スピードが非常に早いものになったと。

実はですね、私の思うところこれが日本人の貧しいひとつの大きな要因じゃないかと思うんです。
所得こそ高いですよね、日本人は。だけど、世界の先進国の中で最も日本の住宅が寿命が短いんですよ。
したがいましてね、各世代がみんな住宅ローンを背負ってる。
そういう国って不思議なんですよね。世界にないんですよ。

もう一つ言いますと大手ハウスメーカーがある国ってのも日本しかないんですよね。
まずそういう寿命が短くなった。
それからもうひとつ、先ほどのシックハウスではありませんけども、健康に良いものと、日本の精神文化、礼儀作法、そういったものを継承する場がなくなった。ということになると思いますね。
それではまず一つ目の劣化スピードが早まったということにつきましてね、皆様方のお手元の語り部通信の1ページを開いてください。ちょっと読ませていただきます。

「寒い地方・国で育った木は、目が詰んで腐れに強いと考えている方が多いようですが、実は樹脂が少なく、軟らかで腐れに弱い木が多いようです。寒くて湿度の低い環境では腐れに対して無防備に育つからです。反対に熱帯のジャングルのように高温、多湿な環境で育った木は腐れに強い木が多いようです。」
ちょっと飛ばしまして
「近年ハウスメーカーがスタンダードに使用しているホワイトウッド、これは北欧材ですね、の集成柱は、白いきれいな木で素人目には良さそうに見えるかもしれませんが、実は腐れに弱い木ですから柱などに使うことは問題です。」

それからその次ですね、2ページ、の「木とカネはブツだ」「昔、私の父は、木と鉄が非常に相性が悪いということを『木とカネはブツ(御陀仏)だ』と言い、また、不都合・不合理なことを『木にカネを接ぐようなものだ』などと表現しました。当然、木と鉄は全く異質であり、木は湿度により、鉄は温度により伸縮を繰り返します。鉄が結露しますと、水分が木を傷め、木のアクが鉄を傷めます。ですから、昔の人たちは木と鉄を合わせることを大変嫌っていた訳です。

かつて西岡常一氏(法隆寺大工)は、薬師寺金堂再建の折、金物を使う、使わないで、学者と大論争を展開しました。西岡氏は、鉄より木を信頼していました。それは、木材は鉄よりはるかに劣化スピードが遅いからなのです。
ところで、近年、次々と新しい建築工法が誕生しております。
それらの多くは、金物を多用した工法です。
数年前、私は認定機関の人たちに質問をしました。
『ところで、新工法の劣化スピードはどのようにして検証していますか?』。
その回答は『劣化スピードについては、特別検証していません』。」

ここにホワイトウッドの集成柱というのを書いておりますね、実はこれはねぇ本当に問題だと思ってます。材木屋さん皆さんがご存知です。どうしてこういう木を認めているのか。
私は国の学者にも質問しましてね、そうしたらですね、「弱い木だということは認めてるんだけども、これから建てられる日本の住宅はそういう弱い木であっても腐らない工法で建てるんだ」と。そういう訳のわからない回答でしたね。

それから、新しい工法を認定している方はどうかと言いますと、そういう劣化スピードについては検証していない、実は今全国的に間伐が進まないってことは大問題なんですけど、間伐材で取れる木は実はこのホワイトウッドと競合品なんですよ、ですからホワイトウッドを使うことをぐっと少なめれば間伐はもっと進むことは間違いないんですね。
しかし国として門戸を閉ざすわけにいきませんから、少なくともホワイトウッドという木はシロアリとか腐れには非常に弱い木であるということを消費者の皆さんに国民に示して判断をしていただくということが必要ではないかと思ってますね。
その次ですね、「両刃の剣」「家ごと断熱材ですっぽり包み、機密性の高いサッシュで囲うことが、省エネ住宅として大いにもてはやされています。
しかし、シックハウス症候群の問題から、今は換気扇の設置が義務付けられました。
神社や掘立小屋は、まさにこれとは反対の極みにある建物です。外とは板一枚でスカスカ、風がスースーです。
しかし今後も神官は、冬のお勤めがつらいからと断熱材で包み、サッシュで囲うことは決してしないでしょう。囲ったら社は持たないからです。粗末な掘立小屋が望外に長持ちするのも、スカスカで風通しが良いからです。
また、木材は薄いほど風通しが良く、反対に丸太のままが一番風通しが悪く虫や腐れに弱いのです。昔、おので丸太を削ったのは、風通しを良くして長持ちさせるためでもあったのです。」こういうふうに私は考えておりますね。

次のページですね、4番「劣化スピード」「一般に、建物の強度というと、主に力学的強度のことを言います。
しかし、建物で重要なことは、一事的な強度よりも、耐久性がいかにあるか、つまり強度の劣化がいかに遅いかということです。
コンクリートで50年、厚さ1.2ないし3.2ミリの軽量鉄骨は、何年保つというのでしょうか。
木も金具で緊結したり、パネル化して面(壁)で支えることは、劣化スピードを早めることになります。
木は露して呼吸させることが何より大切です。合板で囲うことは息を止め、木の大きな支障になります。

また、柱の見えない大壁工法は、土台も柱も結露でふけていきます。
木には腐れに強い木と、弱い木があり、ホワイトウッド、レッドウッドまたSPF、これは2×4の部材ですね、あるいはヨーロッパの赤松、これはログハウスの部材ですね、などは、シロアリや腐れに弱く、湿気の多い日本の風土に合わない木です。木挽・大工・左官など日本伝統の職人が、最も腐心して工夫を凝らしたことは、実は、いかにして劣化スピードを抑え、長持ちさせるかということだったのです。」

昔の家はですね、家族と共にあったんですよ。何代も何代も住み続けたんですね。
そして住みながら完成させていったということですね。
ですから昔は米が全てですから、できるだけ分家もしないようにしてね、皆一緒に暮らしてたんですよ。
これ分家して田圃を分けてあげることは共倒れになるという、例えば飢饉の時にですねお互いに行き詰ってしまう、ということから実は「田分け者」というのはここから来てるんですよ。田圃を分けたら共倒れになるよということをですねたわけ者と言った。
先ほどの2番目でですねぇ、健康に良いものと、日本の精神文化、礼儀作法を継承をするもの、場がなくなったと申し上げました。このことにつきましてちょっとお話をさせていただきます。
5ページの「引き戸のお話」、これを見ていただきたいと思います。

「昭和40年以前の家は、ほとんど和室でドアはありません。玄関や外廻りは木製建具、ガラス戸、あるいは板戸。内は障子、ふすま。もちろん、町内の建具職人の手によるものでした。
ドアは外部と遮断するもので、開けた状態は不始末、家の内のドアは家族同士を遮断します。
良い子が育ちません。
一方、玄関の引き戸は、人を招きます。引き戸は時々の用にあわせた空間をつくり出します
。閉めても開けても、取り払ってもいずれも正常な形です。
障子越しに子供たちは、大人の会話や、やりとりをおぼろげに感じ、聞きながら成長します。
常に一緒にいるという安心感をもたらします。障子の開けたてや、座ってのお辞儀などの躾もできます。
躾とは身を美しくする、立ち居振る舞いを正しく導くことです。
玄関のアルミや鉄の大きなドアは、いかにも外と遮断するバリアです。次々に家の玄関がすべてドアにされたとき、果たして地域のコミュニティーは保たれるのでしょうか。私たちは家に住んでいるのではなく、この地域に住んでいるのです。町の建具職人の手の音が、今にも消えそうです。」
次のページご覧いただきますと、「空気のお話」っていうのがありますね。
「日に一度は戸を開けて風を通すことが大切です。
畳にダニがわくから防虫畳?でもダニがわくのは本当に畳のせいでしょうか。
私が子どものころは、夏の土用に畳を上げて、土用干しをしていました。
畳下地は松や杉の座板。穴が開いてすき間があって、かんなをかけないザラザラの座板は空気が通い、畳も傷みません。床も壁も天井も、まどはもちろん気付かないほどの空気が通っていました。
ところが、今は空気を止めています。高気密で高断熱・・・これが理想の省エネ住宅。
それは住宅の寿命を縮めるだけでなく、住む人にとって本当に良い環境でしょうか。
寝室はどうでしょう。夫婦二人6畳間。床は合板、壁はビニール、天井も。合
板のドアで仕切って空気はどれほど通うのでしょう。
家は真壁で露わして呼吸させることが大切なように、私たちにとってとっても新鮮な空気が何より大切です。
今年から、各部屋に換気扇の設置が義務付けられました。
室内を石油化学製品などで包み高気密にしたら、シックハウスが社会問題になったからです。
やはり、私たちには通気性のある自然素材がふさわしいのでしょう。」

次ですね、「大黒柱」をちょっと読ませていただきます。
「昔は大黒柱がある立派な家がたくさんありました。
あるとき、築何百年という古い民家が壊され、年老いた主人が黒光りのした立派な大黒柱をさすりながら涙しておられる姿を拝見し、私は熱いものが込み上げ「これが本物の家だ」という思いを強く持ちました。
人と家が一体で、家の一部が住人なのです。」

3年前でしたかね私それこそ木曽桧で有名な岐阜県の加子母村に参りました。
村長さんが木造の宿泊施設とそれから木造の小学校を案内していただきました。
その時に村長さん、とにかくこれからはうちの村は全部木造でやりますよ。考えてみればうちの村にあるものいうたら木しかないんだと、しかも立派な木がある。なのになぜ今までコンクリートや鉄でやってきたか。
で特に今回小学校を木造にしたら非常に良かった。
それで私は「村長さん何が良かったのですか?」とあえて聞いたんですね。
そしたら村長さんはね答えは「うーーんとにかく子どもが違う」それが答えでしたけどね、そういうことをおっしゃってました。

それで去年でしたかね、テレビでですね安藤忠雄さんの事務所がこの岐阜県加子母村から設計依頼を請けて加子母村に木造の施設を造ってたんですね。たまたま私偶然にそれを放映しているのを観ました。
その時に村長さんやってるやってる。言ってたけど本当にやってるなぁと非常に嬉しい気持ちになったのと反面、残念なことをするなぁ。

なぜかといいますとすべてを集成材にしてしまっているんですねぇ。
日本人はですねぇ木の使い方がうまかったわけです。古来より。で
すから木材というのは大鋸で挽いたそのまま、あるいは製材機で挽いたそのままで実は優秀な建築材料であるわけです。本来。それをですね集成材というのはですねぇ。
あれは建築材料としてまだまだ使えないんだ。なぜなら一つにはむらがありすぎる。
いい木もあれば悪い木もあるし、強い木もあれば弱い木もある。
ムクの木は個性があってよう使えないということでですねぇ、実はせっかくの優秀な建築材料を短く切ったりあるいは薄くしたりですね、それを接着材で貼り合わせて整形したものが集成材なわけです。
あれはムクの木材と全く違うんですよ。ま新建材ですね、位置づけをするならば真しく新素材なわけです。

これ島根県でも近年木造の学校が建っております。しかしそれらはやはりみんな集成材なんですね。
私は残念だなぁと思いますのは特にこの隣の安来という町がありますけどもそこには昔からの本当に優れた職人さん、大工さんがたくさんおられるんですよ。
学校というものは全体の規模は大きいかもしれませんけども教室単位でみますと小さいもんなんですよ。これのつながりなんですよ言って見れば学校はですね。
ですから、大工さんに相談する、職人の知恵を借りることによっていくらでも今でも無垢で建つんですよ。
しかも無垢の木材で建てた学校こそ本当にその中で過ごす子ども達のやはり豊かな感性、情緒というものが育っていく。いうふうに考えておりますね。
ですから公共事業で木造にしたよ、ということはいいんでしょうけど、しかしその大半がそういった集成材でやられるということに対してわたしは大いに疑問を持っております。

日本人の美意識、清潔感は美しい自然、四季プラス実は素足の文化の中で生まれた
今日の大きなテーマの2つ終わりましたね、一つは住まいとは何かというお話、ふたつめに昭和40年ころから住まいが変った、三つめですね。
「日本人の美意識、清潔感は美しい自然、四季プラス実は素足の文化の中で生まれた」ということについてお話をさせていただきたいと思います。

家の中は素足っていうのは、これはもともと日本人の暮らしなんですよね。
これ皆さん方のご家庭の中でうちはスリッパがないよ、という方がおられましたらちょっと手をあげていただけますか。それでもまだぽつんぽつんとありますね。しかしほとんどありませんよね。実はうちもないんですよ。

うちの家もですね7年前に改造しました。
その時に私の改造のテーマはですね「家族の健康と暮らしやすさ」というテーマを持って改造したんですよね。
ですからその当時、家のまわりで一番はじめに柔らかい床材を使ったんです。
と申しますのはですねぇ、じゃぁなぜスリッパを履くようになったかというお話をしたいと思いますけど、結局のところ、床が硬いからなんですよ。畳の上でスリッパを履く方はおられませんよね。
床が硬いと、どうしても硬い床っていうのは足にも厳しいしね、それからまた冬は冷たくなるんですよ。熱浸透性がいいんですよ。足の裏の体温が硬い床ですとすーっと逃げてしまうんです。ですから冷たく感じる。スリッパなしでやっておられないよ、ていうことが現実ではないかと思いますね。
床は傷がついたらまずいという考えかたからじゃあ傷がつかないように硬い床にしましょうできているんです。
そういう過程といいますのは私に言わせますと、住まい手より床が大切だという発想のそれ以外になんでもないですね。そこで私は発想の転換をしまして、そうじゃないだろ、住まい手が床より大切だと、住まい手のほうが床より大切だ、これは当たり前のことなんですよ実は。
ところが7年前に私がそういう考え持った時に廻りの皆さんはいやそんなだって柔らかい床だったら傷がつくだろう、だけど私はそれを承知でやりました。今現在私の母親は83歳です。ひざも痛めてますから足底ばん履いておりますけれども柔らかい床材にしてもらってよかったよ。と常に言ってますね。

これ柔らかい床ですと単に柔らかいだけじゃくて勿論調湿性があるんですよ。部屋の湿気も取ってくれるんです。硬い床はあんまり調湿性がないんですよ。柔らかい床だと調湿性がある。それから勿論弾力性がある、断熱性もいい、熱浸透性も小さい、いうことで実は柔らかい床だと安全で暮らしやすい、しかも健康的に暮らせる。スリッパいらない。というこになりますね。

家の中と外をきちっと区別する、家の中での素足の暮らしが、美意識・清潔感を育んできたという風に私は思います。このことは同じアジアでも、中国や韓国などに行った時、なるほどと感じます。
バリアフリー化が進む今日、その意味でも安全な素足の生活スタイルを取り戻して欲しいと思います。
何年か前に京都の広隆寺に参りました。
広隆寺と言いますと国宝第一号の弥勒菩薩が有名なんですけども実はあのお寺さんは過去長い歴史の中で確か2度火災で焼失しているらしいですね。現在はそういう国宝である弥勒菩薩を代表するような仏さんを二度と火災に会わせたくないということでコンクリートの建物の中に安置されているんですよ。

そこは拝観できるようになっているんですけども、私参りましたときに、内壁は桐でやってあったんですよ。壁も天井もみんな桐でやってあったんですよ。私はそれをみまして、あ、コンクリートではやっぱり仏像が痛むから環境を良くするためにやっぱり桐が一番いいだろうなぁと。それで桐を使ってるんだろうなぁと思いましたね。そこで桐のお話を、10ページですね。

「桐は日本で古くから、たんす、きり箱、げた、琴、火鉢などに使われ、軽くて、弾力性があり、火や水に強く、虫がつきにくく、寸法変化が少ないなどの優れた特長があります。
また、見た目の派手さがなく、落ち着いて控えめな感じと、触ると軟らかく、ぬくもりがあることから近年は徐々に押入れをはじめ、床、壁、天井板などの内装材としても使われています。
桐床は何よりも足裏の感触が良い。夏は涼しく、冬はほのかに暖かく、はだしの生活が気持ちよい。滑りにくく、転んでもけがをせず、車椅子が使えて、介護のためのリフォームとしても有効です。軟らかさが欠点ではなく、むしろ安全性につながるということです。
桐床は畳とは違う、フローリングとも違う、柔らかい光を放つ和洋折衷の新しい床です。」

ですから高齢者の場ですとか、あるいは幼児、あるいは福祉の場、私はそういう場には桐というのは非常に最適じゃないかなというふうに思っております。

それから11番、「寒の水にさらす」
「古来、人々は自然を受け入れ、崇拝し、時にはうまく活用することで生活を豊かにしてきました。
「寒の水にさらす」ことは、木を扱ってきた人々の長年の経験から生まれた知恵だと思います。
木材にとって梅雨や夏の雨は大敵で、ぬらさぬように最も気を使うのがこの季節です。
反対に寒の時分(1〜2月)の雪や雨にぬらすことを「寒の水にさらす」といい、木材にとっては大変有益なことなのです。虫が付きにくく、腐れにくく、長く保つようになります。私が雨を気にしないで居れるのはこの時期だけです。
また、土壁の竹小舞を編む小縄も寒の水にさらしたものは何百年も虫が付かずに保っています。
「寒干し」「寒げいこ」「寒中水泳」「寒中見舞」。寒の季節ならではのものがあるようです。」というふうに書いてます。
まさしくこういうことも当初申し上げました職人の知恵というものは実はいかにして長持ちさせるかという技術だったんですね。

次に12ページご覧いただけますか。「木には切り旬がある」
「木は水を上げていない時に切ることが最も重要です。
耐久性、割れ、狂い、色つや・・・それらすべてを大きく左右します。
木の切り旬は大まかに秋の彼岸〜春の彼岸までです。しかしその間でも'犯土'と言われる切ってはいけない時があります。大犯土は庚午から7日間、小犯土はそれから1日おいて甲申までの7日間です。
昨年の秋、京都の竹屋さんと磨き丸太の林業家から「犯土に切ったら、切りかぶたの腐れが早い。
切り口に水がある」との説明を聞きました。私の長い間の疑問が解けました。
つまり犯土の期間は、月の引力が最も強い時だったのです。」

こういうふうに実は私は中央新報に書いたんですねぇ。ところがこれは軽率でした。
私はもう長い間、おそらくお月さんだろうなぁ、と皆さんのお手元にありますね、暦。これは切ってはいけない日にちが書いてあるんですね。これは一体なんだろうと思って。私はおそらくお月さんの影響だろうと思ってましたからこの北山に行きましたときにいくら切り時のいい時でも、切り時のいい時というのはですねぇ、実は水をおろしてるときなんです。木はねぇ半年水をおろして半年あげてるんですよ。
ですから水をおろしているときは基本的には木のいい切り時ですね。そのいい切り時、例えばこれで言いますと10月12月2月、秋の彼岸が済んで9月からいい日が続くんですけどもその中でも犯土の期間はだめだよと。
おそらくお月さんの引力だろうなぁと思ったんですね。ところが大間違いでしたね。

この暦をですねぇ太陰太陽暦と言いますけどね、この暦をおつくりになってる先生が東京の滋賀勝という先生なんです。この先生が実は一昨年の11月24日だっと思いますけど、トオカンヤですね、旧暦の10月10日トオカンヤ、まぁここらあたりでは「いのこさん」と言いますけどねぇ百姓の収穫祭。
その日に実は大社の稲佐の浜に全国津々浦々から神さんがおいでになるんですね。神迎え神事があるんです。
先生は神迎え神事の様子を実は次の次の年今年のこれ載ってますけどこれに載せたくて撮影に来られたんですね。私が案内しまして、神迎え神事を一緒に体験しましてそれから近くの宿に宿を取りまして酒を飲みながら、この犯土の暦と、先生のこれと、私が書きました木の切り旬があわせましてこういうこと書きましたけどちょっと軽率でした。合いません。これはどういうことでしょうかね?と質問しました。

そうしましたら先生は「私がこの暦を作って8年になります。その間、全国からいろんな方からそういう木の切り時の質問を受けてます。しかし安達さん、あなたのような仕事をなさっている方は全国どこに行きましてもこれですよ、犯土ですよ。」こういうこともおっしゃいました。
それでじゃあなんでしょうかね?と言ったところ、いよいよわからない答えがですねぇ「私はなんとなく陰陽師臭いなぁ」と。陰陽師と聞きましていよいよわからないんですけども、しかし陰陽師が生命をつかさどるということになれば木の生命という意味では案外通じたところがあるのかなというふうにも思ってますね。
しかしこういったことも学問や科学では証明できないんですよ。証明できないけども何百年前からこれで守ってきたということはやはりそれなりのものが実はあるはずなんですよね。

ところが今の世の中は科学で証明できないことは、あるいは数字で立証できないことは認めないというそういう社会なわけですけどね、そういう中で例えばたまたま今年アスベストの問題が大きな社会問題になりましたよね、あの時に私思ったですよ。
どうして学者の名前出てこないのかな。本来あれをつかさどった学者が居るはずですよ関与された。
しかしマスコミにも学者の名前出てこない。つまり今の日本の世の中ではですねひとつ学問というのを治外法権のそういう位置づけがあるのかなというふうに思ってますね。
それから差別の問題でもですねぇ、何でもないことでも差別だ、それは差別用語だって言われますけどね、しかし、例えば有識者とか、学識経験者会議とかですね、そういう言葉平気で使われてるんですよね。
私どもにとりましてはね、じゃあ有識者じゃない我々はなんだろう。これこそ差別用語じゃないの?というふうにもちょっと思わないこともないわけですけどもまぁしかしいうなればやはり学問の世界というのはなんかこうちがった位置づけがされてるなぁいうふうに思ってます。
それとですねこの暦でいいますとね、今日は旧暦の7月9日なんですよ。普段は一月遅れなんですよ。
ところが今年はたまたまね7月が閏月なんですよ。だから閏7月の9日なんですよ。先月も7月でした。今月も7月です。閏7月。後の月と言いますけどね、しかも今日は上弦の月ですね。お月さんが生まれて上の弓張り月とも言いますけどこう弦がピッと張った状態、つまり真半分ですね、お月さんが生まれてきて。
こういう状態のお月さんが今夜の月なんですねしかも210日。立春、今年の立春は2月4日ですね、立春から数えて210日。それで台風シーズンというふうにも言われるわけですね
。これお月さんの暦でいいますと、実は一月が29.5日なんですよ。そうしますと1年が大体354、5日ですかね。ですから太陽暦と10日ばかりずれるんですね。そのために閏月というのは19年に7回入ってる。

私一昨日たまたまこれを作った滋賀先生に電話したんですよ。そうしましたら今夜は七夕はんだよ安達さんって、そうですか、そういやぁ閏7月7日ですねぇ。おとといのことなんですね。で東京では滋賀先生のまわりでお月さんのファンの方が七夕祭りをしておられますね。
じゃぁ次閏7月が来るのはいつかと言いますと、2044年だそうです。2044年に閏7月が来るいうことらしいです。なぜ私がこんな話をしますかいうと一つには切り時と関係があったんじゃないかと思ったけど、あんまり密接ではないみたいだ、しかしながら新月と満月ではどうやら明らかに新月の時に切ったほうが良さそうだということがわかってますね。

これヨーロッパのほうでは古来より冬の新月と言ってるんですよ。ヨーロッパはもっと厳格、日本はねぇ言ってみればアバウトなんですよ。春の彼岸から秋の彼岸はいけないよ、だからその反対はいいよ、ものすごいアバウト。そん中で犯土はいけないよってそれだけです。
ところがヨーロッパはねぇもっと厳格にね冬の新月しか切っちゃいけないんですよ。これ冬の新月と言いますとね12月1月ですよ。年に4、5日しかないですね。その日しか切っちゃいけないっていうんですよ。
これいわゆるヨーロッパのアンティーク家具、古い家具ありますね、例えば1000年ももってるような家具、ああいうのはね、広葉樹なんですよ。広葉樹は余計虫がつくんですよ。針葉樹ならともかく、広葉樹がそれだけもってるっていうことはたぶんまちがいなくそれはやはり冬の新月に切られた木じゃないかなと思っているところでございます。
木材使用の大きな障害
さぁ最後の4番目に入らせていただこうと思います。木材使用の大きな障害という。これに入ります。

これは13ページ「罔象女神」このみずはなどの字はちょっと読めませんよね。
みずという字は下が亡なんです。これ中が亡なんです。
東洋漢字にあるかどうか知りませんがこれが正式な文字なんですよ、これで「みずは」と読むんですね。

棟桁に、棟桁っていうのは棟の木ということですね、あれ正式には棟桁っていいます。「棟桁に書く文字の頭に「水」と書くのをご存知の人は多いと思います。火難に遭わぬよう祈りを込めて水の神様を祀る意味があります。
倉の妻の壁の上部に龍の絵や文字を表すのも同様です。
昔は、生活に使うエネルギーはすべて生火で、煮炊きもお風呂も暖をとるのもすべて炎の上がる生火。
しかも建物の屋根は草ぶきで、火災の危険が高いうえに、消火器具もないので、一度火災が起こると消すすべがありませんでした。

「火事は江戸の華」と言われたように、どの町も大火を経験しています。
しかし、記録によれば死者はほとんど出ていないようです。厚い木材は表面が炭化して燃えるのに長時間を要し、また木や竹や草などの自然素材は有毒ガスを出しませんから、十分に逃げおおせたのです。
今日の消防法の基準をクリアしたはずの住宅の火災では、ぼやでも死者が出ます。
消防法や建築基準法は木材に厳しい使用制限をかけていますが、建物を守るためには有効でも、人命を守るうえではあまり機能していません。
生命の根源であると同時に火災を食い止める重要な資源でもある水。その水の神様は女神様で「罔象(みずは)女神」と言い、私の住む東出雲町にある高清水神社の御祭神は、罔象女神です。」

何年前でしたかね、皆さんの記憶にも新しいと思いますけど、銀座の歌舞伎町の雑居ビル火災がありましたよね。あの時にずいぶん多くの方がお亡くなりになりました。
テレビで消防の方がコメントを申しておられました。「これだけ大人数の犠牲者が出たのは非難路が一つしかなかったからです」こういうふうにおっしゃってました。私はあのニュースを見ながら違うだろう、と思いました。
どういうことかいいますと今の建物はたとえばこの火災にあった歌舞伎町の雑居ビルも、間違いなく、消防法の内装制限、建築基準法内装制限をクリアした難燃材であったはずなんですよね。ところがじゃあ難燃材は燃えないかというと燃えるんですよ。700度くらいになると燃えるんですよ。燃えると有毒ガスを出すんですよね。
したがって、ここで亡くなられた方の多くは有毒ガスを吸い込んで気を失って倒られた、その後焼死されたというケースじゃないかというふうに考えますね。そうしますといくら避難路があってどうだったのかな、というふうにも考えておりますね。

20年ほど前にアメリカ行きまして驚きましたことは、エレベーターの内装が板張りだったんですよね。
日本では考えられないことでしょう。しかもアメリカでは防火戸も板だというんですよ。木だと言うんですよ。
ある一定の厚みのある木材は簡単に燃えないから難燃材として認めてるんですね。
よく考えてみますと例えば鉄の防火戸ですとね、温度によって膨張しますから例えば本当に鉄の防火戸がたっていたときにそっから逃げようと思っても逃げられなくなりますね、逆に。
まあそういう意味だろうと思いますけど防火戸も板で行われている。つまり日本は木材というものを紙と一緒の可燃物という位置づけをしてるんですよ。
しかし皆さんも経験の中でご存知だと思いますけど例えば電話帳、コレくらいの電話帳になると燃えませんよ。何回火をつけても燃えませんよ、簡単に。ですからアメリカではですね木材を日本とは違ってある一定の厚みのある木材は難燃材として認めてるんですよ。この違いが大きいですよね。

それから統計でですね昭和59年の静岡県に住宅が992,000戸あったと言いますが、その年に火災に遭った住宅が1,062戸あったといいますね、これを割合に直しますと1000分の1なんです。
つまり何が言いたいかいいますと、あなたのお家が火災にあって焼失するのは、確率から言ったら1000分の1、ということは全部燃えるのに1000年かかるということですよ。ということはあなたのお家が火災に遭って焼失する可能性は1000年に1度だというんですよね。
それにしてはあまりにも木材を締め付けすぎてるんじゃないの?と、しかもそれによって人命が守られるんであればそれは当然そうあるべきでしょう。
ところが最近の火災では皆さんご存知のようにちょっとした火災でも必ずと言っていいほど死者が出る。
この松江も大火を経験してるんですよ。どの町も大火を経験してるんですよ。ところが死者はほとんど出してないんですよね。まそういうことからですね私はこの消防法とかあるいは建築基準法の内装制限というものはちょっと見直しをしていただきたいと思っております。
大体時間が参りました。
最後にですね、かつて日本はですね、木の国、木の文化の国と言われたんですね。
しかし今では国民1人あたりの年間の木材の使用量はアメリカの半分以下なんですよ。そこまで木材を使わなくなってるんですよ。ですから山村崩壊の図式というのもここにひとつありますよ。

それから日本はですねぇ先進国の中で唯一雨期のある国なんですよ。物が腐るから土が豊かなんですよね。
世界の中には再生できない山がたくさんあります。再生できない森林がたくさんあります。ところが日本の山はそうじゃないんです。そういう恵まれた環境におりますからもっともっと木材を使うことがそれこそCO2の抱え込みも一緒ですけど、自然を守ることにもつながるし、山の仕事を復活させることにもつながるんですね。

最後に22番を読ませていただいて私のお話を終わらせていただきます。
「今、問いかけたいこと」
「日本の住まいは昭和40年ごろから変わり始め、今ではすっかり洋風化して畳の部屋は1部屋、中には1部屋もない家も珍しくありません。その結果、畳屋さんも建具屋さんも左官さんも仕事がなくなりました。
また山の人たちがせっかく手入れをした節のない柱木や、何代もかけて育てた樹齢何百年という銘木の用材も価格が暴落しました。その上、鉄やコンクリートの家が建てられ、輸入住宅も珍しくありません。
1つのマンションが1つの小さな町ができるほどの木材需要を奪っています。
現在、国民1人当たりの木材の年間使用量は、アメリカの半分になりました。その少ない使用量の中でも国産材は2割に届きません。そのため、各地で原木市場は転廃業に追い込まれ、製材所はのこぎりをはずしています。
山の仕事はなくなり、山も棚田も見捨てられ、かつて『国敗れて山河あり』とうたわれた山河は元気でいるのでしょうか。経済優先、効率優先、科学信仰、グローバリゼーションで街がどんどん変わっていきます。
今、私たちは問いかけてみましょう。「山河は清いか魚住むか、子どもは元気か日本住宅どこへいく」

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