風工房「孝」
デザイナーとして活躍する父親の姿に影響を受け、「小さな頃から絵を描くことが好きであった」と和田さんは言う。
高校卒業後、大阪で某印刷会社にデザイナーとして就職するが、自分の思い描いていた「デザイナー」とはあまりにもかけ離れた現実を直視し、「自分の道」を選ぶため退社。
実家のある、島根県大田市に戻り、作り手として活動する中、21歳の時に「なすの花」と出会う。
現在、水彩画、工芸品の製作が活動の中心。トンボなどを描いた彼の水彩画は、どこか懐かしい風景、想いを感じさせ、人気を集めている。
和田さんは、自分の絵を見る人に、その絵から何かを感じてもらいたいと言う。なごみであり、癒しであり、感動でもあり、とにかくなにかを感じてほしいと。
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また、「人の心に何かを感じさせることは今のスキルで到達している。ただ、そう自分で感じたときに、新たな目指すべき世界、壁ができるのだ。」と。その壁を壊していかなければ、上の世界にはいけないといいながら、和田さんは、その壁を楽しんでいるようにも見えた。
新しいチャレンジとして、油絵への取り組みを彼は考えている。一からの勉強が必要としながらも、目指すものは○○流ではなく、あくまで自分流。
有名になるとかどうとかではなく、「とにかく自分の美的センスを養いたい。そうすることが今の自分にもっとも必要であり、今後の自分にもっとも影響を及ぼすこと。」だと。
「家族との時間が一番大事。」といい、そのスタンスを貫き通す生活の中で、和田さんは「芸術の世界」、そして「自分」にチャレンジしている。
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